COMPANY PROFILE
HISTORY
沿革初代社長、中村豊が「中村羽毛研究所」としてバドミントンのシャトルコックの研究を開始。シャトルコックを鳥の羽根で製造する方法を試行錯誤しながら、当時としては新素材にあたるプラスチックを使って一体成形することを考えついた。
戦後復興の中で、生活で精一杯。趣味やレジャーの余裕なく、バドミントンはまだ知られていなかった。
東京農大での卒業論文で「鳥の羽根の利用方法」について研究していたところイギリス発祥のバドミントンというスポーツがあることを知った。
シャトルコックの特許4件、実用新案23件申請、取得。 優秀発明通産大臣賞を受賞する。
軽いシャトルコックを鳥の羽根と同じように、いかにゆっくり、まっすぐに飛ばせるか、形状、構造や素材を研究。
プラスチックのシャトルコック「PLマン」を量産開始。
PLマンの「PL」とはParadice Lost:の略。Paradice Lostとは失楽園という意味で希望を失った人という意味。 失敗の連続でどん底にあった時に完成したシャトルコックであったということで命名された。
社名を「羽立工業株式会社」と変更。本社家屋建設。
木製の羽子板と羽根も開発したが販売は不振で山のような在庫は薪になった。
英国カールトン社とプラスチックシャトルコックの特許裁判始まる。
特許の重要性を認識し、その後シャトルコック及バドミントンラケットに関する多数の特許申請/取得。
イギリスの類似特許と特許裁判に発展。東京裁判の日本側弁護団長であった清瀬一郎さんに弁護を依頼、日本のスポーツメーカー大手の美津濃様(現:ミズノ株式会社)を始め大手スポーツ卸の全面協力の元、先の戦争を彷彿させる日英の戦いとなった。
プラスチックのシャトルコック(特許)の全国生産量の95%を生産。(年間1000万ヶ)
手軽に楽しめる庶民のレジャーとしてバドミントンが普及し始めた。
日本対英国の裁判になった御陰でスポーツ業界では当社は有名になり、バドミントンというスポーツが知られる事になると同時にシャトルコックが売れる大きなきっかけとなる。
木製バドミントンラケットの生産開始。バドミントンラケットに関する特許多数取得。
英国カールトン社との特許裁判和解、カールトン社と技術提携する。(和解は結果としては勝利と同じであった)
高度成長。(1960年から10年間)
スポーツ問屋のお客様を会社前の汽船場から社員全員でお見送り。
バドミントンラケットやシャトルコックの米国、カナダ、オーストラリア、欧州への輸出始まる。
東京オリンピック開催。
高度成長全盛期へ。
東京オリンピック開催。
木製バドミントンラケットの新工場建設。台湾にバドミントンラケット専用工場を設立。
ブロー成形工場建設。(現在のブロー工場)。デンマークから2色ブロー成形機(特許)を導入し、出光石油化学の材料を使って「ユニボール」の生産販売開始。
楽しく遊ぶ子供のために。安く気軽に遊べるレジャー用品の開発に特化。2色ボールを商品化したが…数年後に、空気がぬけてしまうという問題で大返品となり、販売を中止することになってしまった。
射出成形工場建設。
ラケット工場増築。
回転成形機導入。
ドッジボール等を生産。
大阪万博開催。
シャトルコック関連特許切れ。台湾から安いシャトルが入ってきて売上が減少。射出成形機、ブロー成形機を自動車部品の製造に振り替える。
バドミントンラケットが木製から金属フレーム製に替わり、木製ラケットが販売不振に。
オイルショック。
木工工場が開店休業になった。バドミントンラケットは、アルミ製からその後FRPへと素材革命が起こり、その後はヨネックス社の独壇場に。
二重壁ブロー成形特許の専用実施権を取得。ダブルブローケースがヤマハのピアニカに採用され大ヒットとなる。
スポーツ用品の販売不振により、新事業を模索。出光石油化学から寺岡氏を紹介されダブルブロー技術を導入することになった。
ダブルブロー成形工場として「羽立化工株式会社」を分離独立設立、新工場建設。
羽立化工第2工場竣工。120mm大型ブロー成形機を導入し、矢崎の「湯ワイター」の250Lタンクを成形。
スポーツ用品から工業製品事業への転換を図るべく、少し無理をしていたので、過剰投資気味で資金繰りは厳しい状況であった。
羽立工業で大型真空成形機導入。
大型ハウジング部品製造。
羽立工業、ゲートボール市場に参入。ボール、スティック等で特許を取得。ラケット工場をゲートボール工場に変更、塗装ラインを設置。
この頃から、スポーツ用品はブランド力が必須の時代になり、安物路線できた当社は太刀打ちできず、高齢者スポーツであるゲートボールならブランドよりも価格や品質で勝負できると考え、参入した。
羽立化工でダブルブロー成形による日本初の自動車のブローバンパー量産化。
プラザ合意(1985年9月)急激な円高へ。
日本初のブローバンパーは三菱油化の協力の元、専用のブロー材料を開発することで成功した。
ヤマハの木製テニスラケット生産。
テニスラケットはアルミと木製の時代であり、ヤマハの本木の薄皮を表面に貼る技術でテニスラケットを量産するも、一時的でその後製造は台湾に移管、素材もカーボンに替わる。
羽立工業、「安全竹刀」でグッドデザイン商品選定、竹刀の先革、割竹の製造方法で特許取得 竹刀の製造販売に乗り出すも、壊れない竹刀では武道業者の売上が落ちると言われ、販路開拓に困難を極め数年後に撤退。
資金繰りがショートする経営危機から脱却し明るい兆しが見えてきた。
羽立化工、羽立工業の代表取締役社長に中野幸男が就任。
バブル崩壊(平成2年)、「ベルリンの壁」崩壊、ソ連解体、冷戦崩壊。
羽立化工第2工場増築、大型ブロー成形機導入。
中村豊会長 知事褒賞・研究開発功労者を受賞。
「シャワーヘルパー(介護用シャワー装置)」を開発、介護浴槽分野に進出。
羽立化工、スーパーブロー成形技術の実施権取得。
120mm大型スーパーブロー成形専用成形機導入。
阪神淡路大震災、オウム真理教事件。
ユニットバス天井にスーパーブロー成形が採用。
タイに現地法人「THAI HATACHI CO.,LTD.」を設立。翌年からのアジア通貨危機で2000年まで休眠状態。2001年から業務を再スタート。自動車関連部品(エアダクト、タンク、熱硬化性樹脂成形プーリーカム)を成形。
1995年に青年会議所のボランティア活動でタイを訪問。タイの素晴らしさを知ると共に、今後の経済成長を予感し、現地法人設立を決意。
羽立工業第3工場竣工。
羽立工業のスポーツ事業部がグラウンド・ゴルフ、パークゴルフ市場に参入。
アジア通貨危機。
ゲートボール人気に陰りがでてきた一方で、愛好者が増加しつつあったグラウンド・ゴルフ市場に参入すべく、当時アシックス社が普及の為につくったグラウンド・ゴルフ協会へ新規のメーカー参入を促し認可された。
羽立化工、羽立工業の代表取締役社長に中村哲也が就任。
羽立化工、135mm超大型ブロー成形機導入。ISO9001取得。
羽立化工、金型倉庫竣工。
羽立工業、福祉市場参入。
福祉施設向けレクリエーションとして認知症予防ゲーム、レクリエーションキットを提案。ダイレクトメールを施設向けに配布。
羽立化工、経営革新計画を静岡県から承認。
羽立工業、「自立体力トレーニング」 静岡大学との共同研究開始。
スポイラーのサンディング工程の自動化に成功。
ブロー成形のバリ仕上のレーザー加工による自動化に成功。
羽立工業、大型射出成形機工場竣工。
羽立工業、健康市場参入。
羽立工業、1300t 2色射出成形機導入。
認知症予防ツール「脳げんき。」の研究で脳関連学会へ参加。
静岡大学と共同で高齢者の体力測定「自立体力テスト」を開発。
羽立工業、ウォーキング市場参入。
サブプライム問題から始まる、金融危機で世界同時不況。
ノルディック・ウォークを柱に、よりよいウォーキングを。普及団体、流通、消費者にウォーキングライフスタイルを提案。
関東経済産業局から新連携計画「ガスバリア性の高い燃料タンクの開発と事業化」が認定される。
羽立工業、「自立体力テスト」発表。
日常生活動作の視点で体力を測定。
羽立工業、130t 2色射出成形機2台を導入し、ホビー関連部品の生産を開始する。
羽立化工、多層ブロー成形機導入。
「超薄膜導電性材料(CFRP等)を層間ラミネートする多層ブロー成形技術の開発」サポインに採択。
羽立G工場竣工。
羽立工業、「自立体力全国検定」サービス開始。
知らない間に進んでしまう「体力の衰え」を客観的かつ定期的に測定し、生活アンケートとともに総合分析するシステム。
羽立工業、ノルディック・ウォーク用の取り替えポールキャップ「フィット型」発売。
ノルディック・ウォーク用ポールに取り付ける先ゴム。トレーニングやリハビリ等、様々なシーンに対応できる新しいポールキャップ。
静岡県ノルディック・ウォーク連盟発足。
地元のノルディック・ウォーク普及のため、メーカーとして団体会員登録。
バドミントン事業から撤退。
社名の由来でもあり、また、会社設立のきっかけとなったバドミントン事業から撤退することは苦渋の選択であったが、赤字事業の継続も困難であり、過去にこだわっていても未来はないと考え、撤退を決意。
東日本大震災発生。
全国的にイベント取りやめ・買い控えの風潮。
タイ洪水。
7月から始まり3ヶ月以上続いたタイの洪水により、THAI HATACHIの設備は全て水没し多大な損失を被る。また、今後の事業にも大きな影響を与える事になる。
インドNTF社と技術支援契約締結。
羽立化工、国内立地推進事業採択。
HATACHI(THAILAND) CO.,LTD. 設立。
洪水の復興過程で、スピード感の違いが原因となり、タイ人パートナーと衝突。別会社を設立し単独で工場運営をすることとなった。15年以上お世話になったタイ人パートナーには感謝している。ビジネスとしてなら日本人の考え方は正しいが、人としてならタイ人の考え方の方が自然だ。
羽立工業、ISO9001を取得。
羽立工業、ノルディック・ウォーク用の取り替えポールキャップ 「ライフラインブーツ型」発売。
ノルディック・ウォークポール用 取り替えポールキャップのアグレッシブタイプ。交換時期が一目で分かるツートンカラー。
羽立化工、中小企業のものづくり基盤技術の高度化に関する法律に基づく特定研究開発等計画の事業者として認定された。
G工場、大型スーパーブロー成形機導入。
羽立化工、羽立工業共にものづくり補助事業採択。
羽立工業、ロコモティブシンドローム対策商品「ロコレッチ」の開発・発売。
「関節を動かす」「維持力トレーニング」に特化した商品とトレーニング法を提案。
健康ソリューション事業は今後の自社製品事業成長のエンジンと考えている。
羽立工業、第四回「健康寿命を伸ばそう!アワード」受賞。
厚生労働省の国民運動、「スマート・ライフ・プロジェクト」より、介護予防・高齢者生活支援分野にて優良賞受賞。
羽立工業、健康増進サービス「ウェルスマイル・プロモーション」開始。
ライフスタイル&自己実現提案の、新しいフィットネスデザイン「リラクシングワーク」開発・発売。
羽立工業射出成形部門を羽立化工へ事業譲渡。
国際協力機構(JICA)「中小企業海外展開支援事業」に採択。
タイ国での自立体力プログラムを実施。